2016年に放送されたドラマ、「逃げるは恥だが役に立つ」で大ブレイクした大谷亮平さん。
今や日本で大活躍中の俳優さんですが、過去に生死をさまようほどの大病を患ったことがあるんだそうです。
今回は、大谷亮平さんが大病を患ったのはいつで、どんな病気だったのか?大谷亮平さんの経歴やインスタ画像なども紹介します。
大谷亮平が大病とは?意識不明になったのはいつ頃?
大谷亮平さんは以前番組で、意識不明で生死をさまよった過去があったことを話していらっしゃいました。
大谷亮平さんは、高校時代にバレーボール部のキャプテンを務め国体の出場経験もあるそうです。
高校2年のある大きな大会の予選前、「ちょっと体調がおかしいな。」と思いつつも、キャプテンである責任感ゆえに無理をして練習を続け、倒れてしまったそうなのです。
3日間意識不明となり、生死をさまよったという大谷亮平さん。
命の危険や後遺症のことなども告げられていたご家族は、意識が戻りしっかりと受け答えができた大谷亮平さんの様子を確認した時、泣き崩れたそうです。
病名は、ウイルス性脳炎。
ウイルス性脳炎は脳の病気で、髄膜を破って脳に直接ウイルスが入ってくる恐ろしい病気です。
奇跡的に無事だった大谷亮平さんですが、それ以降ご家族から、「無理はしてはいけない」と言われ続けているようですね。
大谷亮平の経歴とインスタ画像は?
大谷亮平さんは、イケメン俳優として韓国で活動しており、2016年から「逆輸入俳優」として日本での活動を始めています。
芸能界に入ったきっかけは、バイト先の先輩がモデルをされていて、興味を持った大谷亮平さんは先輩に事務所を紹介してもらったそうです。
それから、韓国で「ダンキンドーナツ」のCMが決まり、そのCMがきっかけで韓国で大人気になったんだとか!
韓国で活動を始めた大谷亮平さんは、2006年にシチュエーションコメディドラマの「ソウルメイト」で俳優デビューを果たします。
その後も、「家に帰る道」「ボクヒ姉さん」「ヒーロー」「追跡者 THE CHASER」などのドラマに出演しています。
2014年には、「朝鮮ガンマン」の出演で、韓国ドラマアワード2014グローバル俳優賞を受賞しています。
その他にもCMや映画に出演し、韓国での10年間の活動を通して有名な日本人俳優となりました。
2016年に、アミューズと専属契約を結んで日本での活動を開始し、「逃げるは恥だが役に立つ」の出演でブレイクしました。
「逃げるは恥だが役に立つ」で、 風見涼太役をした大谷亮平さん。
かっこよかったですよね!!
金曜ナイトドラマの「奪い合い 冬」では、三浦翔平さんと共演しました。
2019年7月からの日曜劇場「ノーサイドゲーム」では、アストロズの監督役として出演しましたね。
10歳の頃からバレーボールをしてきた大谷亮平さんにとって、種目は違うもののスポーツに向ける熱い思いなどはぴったりだったのではないでしょうか?
まとめ
大谷亮平さんが過去に患った大病についてや、経歴やインスタ画像をご紹介しました。
もともとモデルとしてデビューした大谷亮平さんは、180センチのスラリとした高身長に、顔もイケメンですから、女性からの人気が止まりませんね!
これからの活躍も楽しみです。
最後までお読みいただきありがとうございました。